世界をはじめて見るかのような、そして最後に見るかのような気持ちで生きること

過去の失敗を悔やんで引きずったり、将来に漠然とした不安を抱いたり。

表面上は割と冷静で、あっさりとした性格に見られがちなのだが、かなりの心配性でストレスに過敏である。

身体や脳が疲れていると、同じ夢をみる。内容は決まってトラウマな出来事。昔の記憶がこびりついて離れない。

かといって人に甘えるのが苦手で、何でもそつなく出来てしまう。ひとりで生きている未来が容易に想像できる。

これはある時目にした哲学書に書かれていたこと。

人間というのは過去、現在、未来と時間軸を司り、幅広い年月を年頭に生きている。だからこそ過去に憂い、未来に怯える。

不安を取り払うには現在を強く生きるしかない。

今という瞬間を生きていることに感動し、新鮮さを忘れず記憶に残すよう慎重に見届けるべきだ、と。

つまりは、「世界をはじめて見るかのような、そして最後に見るかのような気持ちで生きること」で、かけがえのない今がいちばんであると認識するのだ。

なるほど、とは思ったものの、感動する初めての経験や、忘れたくないと願う大きな出来事など、大人になってから出くわすのか?と甚だ疑問ではあった。

結果、何歳になっても人間感動するし、いつまでもこうしていたいと願うし、片時も忘れずに生きていく!となる。

楽しさは容易に転がっていて、それを見つけるタイミングは人それぞれ。掴んでみるには勇気が必要で、それをモノにするには余裕がいる。

人生経験なんとなく分かってきたかなって時に得る新たな楽しみは、暗い過去を消し去り未来を明るく照らしてくれた。

とは言っても、相変わらず脳内会議が休まることはないし、人の顔色伺うし、ひとりでワインを空けてしまう可愛げのなさは不滅だ。こればっかりは変えられない。

このどうしようもない内向的な性格と、相反するフィジカルの強さすら、楽しめということなのか。

人生捨てたもんじゃないね。