スモールワールズ【一穂ミチ】

スモールワールズのあらすじ

1冊の本の中に、小さな世界が無限に広がる。

ネオンテトラ

妊活中の美和は、また今月もダメだったかと落胆する中、夫の貴史の携帯を盗み見て女の影を確認する。

美和はある夜ベランダに出ると、向かいのマンションで男に物凄い剣幕で怒られている少年を見かける。

姪の有紗にその話をすると、その少年は有紗の中学の同級生 笙一だと教わる。

笙一は父親に嫌われており、父親が寝静まるまでコンビニのイートインスペースで時間を潰し、夜中1人で夕飯を食べる生活を送っているのだという。

笙一のことが気になった美和は、週に何回かのペースでコンビニに出向き、笙一にホットスナックを奢る生活を始める。

魔王の帰還

鉄二の姉が実家に帰ってきた。離婚するらしい。
姉は真央という名だが、魔王と呼ばれている。

身長188センチ、総合格闘技にスカウトされる体格と、態度のでかい姉だ。

鉄二は高校で野球部に入っていたが、問題を起こして転校。日焼けした肌にピアス、短い金髪という見た目が原因で、誰からも話しかけられない。

鉄二と同じく学校で浮いている住谷菜々子。祖母の駄菓子屋の手伝いをしている菜々子に遭遇した鉄二と魔王は、金魚すくいをきっかけに仲良くなる。

3人で金魚すくい大会に出ることになる中、鉄二と菜々子は魔王の秘密を知ってしまう。

ピクニック

母は希和子、その娘は瑛里子。
瑛里子が結婚して1年半後、ひとりの娘が生まれた。

初孫をこの手で抱いた希和子は、生まれたての瑛里子を抱いた時を思い出し、かわいさに心躍る。

初めての育児に頭を悩ませる瑛里子。夜泣きの酷さやトイレトレーニングがうまくいかないなどの想定はしていたものの、初乳を拒まられ面を食らってしまう。

希和子に相談したところ、最初はみんなそんなものと優しく絆され、母になった自分も希和子の娘であることに変わりはないことを実感する。

だが現実は変わりなく、子育てだけに留まらず周りの人たちの言動全てに苛立ちを覚える瑛里子。それを察した希和子は、一旦子育てのことは忘れ夫と2人きりでゆっくり過ごしてきたらどうかと提案する。

花うた

深雪は唯一の家族である兄を殺された。犯人の向井秋生はカッとしやすい性格で、駅でたまたま肩がぶつかった初対面の兄を突き飛ばしたのだ。

傷害致死で懲役5年という量刑の短さに加え、刑務所にて特別なプログラムを受けていると聞いた深雪は、秋生に手紙を書く。

秋生からの返事の手紙はあまりに稚拙で反省の色が見えず、深雪はついまた返事を書いてしまう。

秋生は反省とは一体どういうことか理解できず、深雪からの手紙で攻められることに動悸を覚える。それを素直に手紙にしたためると、無視すればいいのになぜ返事を書くのか、とまた深雪から返事がくる。

深雪もまた、誤字だらけの神経を逆撫でしてくる秋生からの手紙を無視すればいいのに、返事を書く。

愛を適量

昔起こしたある問題のせいで妻から離婚され、職場では浮き、コンビニ弁当を食べては荒れた部屋で寝て起きる生活をしている高校教師の慎悟。

ある日仕事を終え家に帰ると、家の前にヒゲを生やした見覚えのない男が立っていた。

その男は離婚してから15年会っていない娘の佳澄だった。

トランスジェンダーの佳澄は全身手術をするためタイに行くという。母親に打ち明かすと勘当され、同棲していた女性に追い出されたため家がないため、しばらく慎悟の家に置いて欲しいと言い出す。

急な話に戸惑いを隠せない慎悟だが、佳澄は昨晩電話で全て話したと言う。着信履歴は残っているが、酔っていたために会話の内容は全く覚えていない。

そこから慎悟は、失っていた家族の時間を取り戻していく。

式日

高校時代の後輩から1年ぶりに電話があり、父親が亡くなったため葬式に来てくれないかと言われた。

後輩との出会いは夜の学校。定時制に通っていた俺が座っていた机が後輩の昼間の机で、紙切れだけの交流から電話するようになり、休みの日に会うようになり、遊ぶようになった。

葬式に向かう中、後輩との昔の出来事を思い返す。俺は傷つきたくないからあえて踏み込まないことが多かった。そんな俺に後輩は気を遣っていたはずだ。

その言い淀む空気感は1年経っても変わらず、また言いたいことを言えないまま、この関係はフェードアウトしていくのだろうか。

亡くなった父親の話から、連絡を取らなくなったあるきっかけへと繋がっていく。

喜び怒り哀しみ楽しみ。感情全てを動かされる、様々な観点から描く物語たち。

人間のままならない箇所を、優しさと美しさで表現する6つの連作集。

スモールワールズの名言

今は、こんなにある道のどれかを人に決められて走るしかない。でも、大人になったら、好きなところを好きなふうに走れるよ。きみが望まない人とは交差しないようにだって、できるんだから。

生き方はそれぞれ違って当たり前。空虚な肯定はわたしの劣等感をすこしも拭ってくれない。遠足のバスに置き去りにされたような、ひとりだけ給食を食べきれなくて居残りを命じられたような、幼い屈辱と無力感に苛まれ続けている。今も。

しなやかに動く白い手に水面が網目の影を落として揺らめくさまを、美しいと思った。空がきれいだとか海がきれいだとか単純に思うのとは違って、自分の感情に自分で気恥ずかしくなる。生まれて初めてのひそやかな気持ちだった。

あの瞬間の、爆発的かつ圧倒的ないとおしさとは違う、つま先からひたひた潮が満ちるような幸福感。

確かに言えるのは、どんな赤ちゃんも神々しく、その丸ごとを肯定されて然るべき存在だということです。

わたしたちは赤ちゃんのときにすべてを持っていて、成長とともにすこしずつ失っているのかもしれません。

子どもでも幼いほうがかわいそうですし、ひとりっ子かそうでないかでランクは変わってきます。

「新品のランドセルを一度も背負わないまま会えなくなった我が子」、「部活に打ち込んで誰からも好かれていた成績優秀な我が子」のエピソードは、「悲しむ権利の主張」に聞こえました。

悲しみの深さを比べながら分かち合い、傷を癒やし合うという器用なことができないから。

じわじわと東の空が白んできた。闇は澄んだ藍色にまでトーンを上げ、地上に近づくにつれてさらに明るいグラデーションになっていたが、山の稜線の向こうにいるはずの太陽はなかなか顔を出さない。光はまだ、夜明けの途上にいる。

そうか。適量じゃなくてもいい時がある。叶うことのない願いや祈りなら溢れても大丈夫だった。そして叶わない願いが無力だとは限らない。

去年、何がきっかけだったか、向田邦子の画像をたまたまネットで見た。白黒の写真だったがわ確かに黒い服を着た、美しい、それでいて眼光の鋭い人だった。

まるできょうの、冬の光のように透き通ってまぶしく、一瞬で腹の中にまで刺さりそうな。もうこの世には存在しない眼差しだと思えば、縁もゆかりもない人間でも何となくびしっと居住まいを正さねばならない心待ちがした。

本はまだ、読んだことがない。

小難しいことを考えているようだ。後輩はいつも自分よりいろいろ気を遣い、気をまわし、気に病んでいた。

細やかさが好ましかったし、もっと適当でいいのに、とじれったい時もあった。

何を悩もうが悩むまいが最終的には死ぬのだから。悲観でも楽観でももちろん達観でもない、子どもだって知っているただの事実だ。

スモールワールズの感想

小さな世界、それは日本のどこか。

人との繋がりをあえて遮断する都会さ、でも古き街並みは残す洗練さの欠けた街。罪と罰が混沌と渦巻き、時代の流れの早さに追いついていると自負しがちな人々。

これはどこにでも起こりうる、現実。

家庭内での存在の権利、人の内面を知る権利、真実を知る権利、過ちを認め許す権利、自分らしく生きる権利、心の内をさらけ出す権利。

そして、多様で柔軟な生き方が尊重される昨今、悲しむ権利の主張が多くみられる。

確かに必要だ。そうしないと自分を保てないことばっかり。人と比較することで自分の存在価値を見出し、まだ大丈夫だって安心することもある。

でも悲しむ権利と、悲しみを押し付けて悲しみの背比べをして誰が1番悲しいかで競うことは全くの別物。悲しさを理由に諦めることは、生きることを放棄すること。

倫理、道徳、法令、理性、人権。権利とともに発生している社会的義務。

この社会的義務を全うすることで、悲しむことが少しずつ少しずつ緩和されるのかもしれない。

人の心の中は見透かせない。いくら血が繋がっていても。家族だろうと。

でも心と心を繋ぐことはできる。どんな形だろうと、家族でなくても。