明け方の若者たち【カツセマサヒコ】

明け方の若者たちのあらすじ

彼女と行った場所全てが青春で、一目惚れなんて初めてで。

内定が決まった者だけが参加する飲み会に彼女はいた。僕が一瞬で心を奪われたその隙に、彼女は早々に帰ってしまう。

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」

帰ったはずの彼女から入った16文字の誘い文句。明大前の公園で落ち合った2人。

これをきっかけに僕の沼のような5年間が始まる。

彼女が好きだと言ったものは、自然と僕も好きになる。そこに理由など存在しない。彼女が優位で、彼女が全てなのだ。

「もう少し押したら、いいよ」

僕のどっちつかずな態度は見透かされていて、彼女からのアシストでステップを踏んでいく。

こんなはずじゃないの連続の社会人生活が始まり、僕は高円寺でひとり暮らしを始める。

彼女が決めたソファとカーテン。セミダブルベッドが置かれた部屋。

親友と呼べる同期と彼女と僕の3人で、明け方まで飲んではいつかしたい仕事を語る日々。

いつを切り取ったってそこには彼女がいて、こんな毎日が続けばいいと思っていた。

社会に出れば、誰でもない自分になれる気がしていた。
でもそんなことは、全員が考えている平凡な思いだと気がついた時には、満員電車に揺られる日々を熟すしかなくなっていた。

かけがえのない20代を、ただひたむきに生きた5年間の僕の青春記録。

明け方の若者たちの名言

もう五年も前のことになる。それでも高い解像度を保ったまま、当時のことを思い出せてしまう。あの日から始まった彼女との時間は、底の見えない沼であり、僕の人生の全盛期だった。

妥協だらけだった人生に、もう一つ妥協を押し込んだ瞬間だった。そのときから生まれた小さな違和感を”後悔”と呼ぶことに気付くまで、大した時間はかからなかった。

モデルのように華やかな印象はないけれど、各パーツの絶妙な配置によって、先天的な愛嬌を生んでいた。LINEよりも田上が似合いそうだし、パスタよりも蕎麦が似合いそうだった。スマホよりも文庫版が似合いそうな人だし、要するに、完全に僕の好きなタイプだった。

そもそもなにを勝ち負けとするかもわからないけれど、この、どうしようもなく低俗で下品な一往復だけで、僕の彼女の関係は、棚に彼女が優位に立つのだと予感してしまった。

たとえば多くの生き物が食物連鎖の関係に抗えないように、彼女と僕もまた、いつだって彼女が優位である。

「あ」で表すのもどうかと思うほど、クジラ公園での時間はあっという間に過ぎた。

それでも僕には、圧倒的に煌めいて、決定的に取り戻せない時間が、はっきりと存在している。霞のように儚く、雲のように捕らえようもない、何気なかったその日々を思い出すたび、火傷に触れたような、鋭い痛みが走る。

都心に出るたびに得られる感覚は、時に自分を、小さな悩みから救ってくれる。これだけ多くの人がいるのだから、自分ひとりくらい、何をしたっていいだろう。一日くらいサボったって、何も変わらないだろう。都市の無関心な態度は、今日も個人を静かに許容してくれる。

明け方の若者たちの感想

俺は他人とは違う。俯瞰した目線で同級生を見ては、ひとつ大人びた自分に酔いしれる。

そんな俺よりも年齢も中身も生き様も、すべてが大人な彼女に出会って、俺の人生はここから始まった。

彼女が好きなものには絶対的な効力があって、同じ価値観でないと置いていかれるような気がして。でもそんな自分も嫌いじゃない。

むしろ、彼女の一部になれた気がする。同時にそれは彼女が僕の一部にもなったようで。

終わりが見えるとは、同時に始まりが永遠に続いていることで、こちらからフェードアウトしない限り、リミットまでただひたすら走り続けるだけ。

気持ちは高まれど、2人の関係性が変わることはない。

それを知りながらもがむしゃらに生きた5年間の僕。素晴らしき青春だと煌びやかに言えるのは、僕が少しでも大人になれたからだろう。

社会に出れば無敵で、思い通りの人生を歩めると思っていた。

自分のセンスのお披露目だと力を込めれば、そんなことは全員が考えていた安直な考えで。特別な1人になど到底なれるはずもなかった。

社会の波に揉まれる現代人には痛いほど突き刺さる現実の嵐。

それでもなお明日を待ち遠しく思え、彼女と一体化してしまった僕のどうしようもない生活が続くのは、ひとりの女性を心から大切に想うその尊さと、悲しいほどに湧き出るエネルギーだけ。

ここまで人を愛してみたい。僕の人生に憧れた読書時間だった。