愛とか恋とかやさしさならのあらすじ
信じるという行為はただ純度を求められる。その想いを少しでも踏みにじられたら、2度と元には戻らない。
カメラマンとして働く新夏(にいか)は、友人の結婚式で撮影係として勤めた帰り、彼氏の啓久(ひらく)にプロポーズをされる。
夢見心地のまま眠りについた翌朝、啓久が電車で女子高生のスカートの中を盗撮したと連絡が入る。
なぜ?いま?どうして?とめどない疑問に唖然とする中、啓久の母親から初犯のため逮捕はされず示談になったこと、会社は辞めずに済んだことを知らされる。
啓久は二度としないと謝罪し、出来心だったことを釈明するも、新夏の気持ちは晴れない。
啓久の母親、啓久の姉、新夏の友人。女性たちの盗撮に対する意見はバラバラで、全てにおいて新夏は納得できないでいた。
かといって啓久との別れも考えられない。自分でもどうしたらいいのか分からない。
啓久の行動を理解しようと努めるだけ、啓久を傷付けている罪悪感に苛まれる。罪を犯したのは彼なのに。
自分だったらどうするだろう。誰にだって起こりうる失敗を、認めて許して、忘れることはできるのか。
愛だけで、恋だけで、やさしさだけで乗り越えられるのなら、最初から悩んだりなどしない。
男女の要望の根底に迫る、恋愛小説。
愛とか恋とかやさしさならの名言
自分が人生のサイクルの岐路に差し掛かっているのを感じた。怖いような、わくわくするような。進級前の春休みみたいな気分。
低温火傷のように、盗撮のことは皮膚の下で常にじくじく疼いていた。生活のふとした瞬間、生まれ直したように何度でも新鮮に気づかされる。あ、そういえば、啓久って盗撮したんだった。
求婚された夜と、電話で報された朝の間に見えない線が引かれ、「そこまで」と「ここから」の自分が断ち切られてしまった気がしている。もう、あれ以前の自分を、一生取り戻せない。
たぶんこの居心地の悪さは、当事者でも部外者でもない、という半端なポジションのせいだ、と思いながら。
「配偶者」ではないし、正式な「婚約者」を称するにもためらいがある。「恋人」って非正規雇用みたいだ。権利も保障もそれなりにあるけど頼りない。何かことが起こった時、初めてその不安定さに気づく。
理性でも分別でもない何かが自分の胸につかえて、鬱憤を吐き出すことを許さない。意地なのかもしれなかった。まだ、わたしの目で見極めていない。自分を、そして恋人を。
他人を安易に幸運だと決めつけるタイプは、往々にしてその対価としての不運を自分が支払っているように錯覚して一方的な不満を溜め込む。
心の中で、「わかる」と「わからない」の間に線を引く。線はまっすぐではなく、ところどころでうねうねと双方に食い込んでいる。その形状を確かめたいのに、線は新夏を囲む円になり、「わかる」を閉じてしまおうとする。
女だからわかる。男には男のことは、わからない。「わかる」の内側で守られていると、とても安心する。安心して、「わからない」へ踏み出すことを忘れてしまう。
気が弱いとか自分がないという意味でなく、主張を引っ込めて新夏に譲ることを「負け」と取らない健全さがあった。
恋とか愛とかやさしさなら、打算や疑いを含んでいて当然で、無垢に捧げすぎれば、時に愚かだ幼稚だと批判される。なのに「信じる」という行為はひたすらに純度を求められる。一点の傷や汚れも許されないレンズのように澄みきっていなければ、信じていることにはならない。純白以外の白はすべて黒で、百かゼロかしか存在しない。そして一度でも、わずかでも損なわれたら、二度と元には戻らない。
天を仰ぐ。せめてきれいな空でも見て、目から入ってきたノイズを洗い流せたらいいと思ったのに、シュークリームの皮みたいなぼこぼこした雲が一面を覆っている。
「悪い人」に傷つけられたりせずに生きていきたい。でも、現実には「ただの人」が「悪いこと」をしている。真っ白はありえず誰もがグレーで、さまざまな理由やタイミングで黒に染まったりする。
瞳は砂漠のオアシスみたいに穏やかに澄んでいて、そこに至るまでに越えてきただろう砂色の起伏を思うと胸が詰まった。
愛とか恋とかやさしさならの感想
恋人。それは血の繋がりはなく、家族でもない。ただお互いを好いていて、信頼しているから成り立つ関係性。
その恋人が、家族へと段階が変わるタイミングで犯罪行為が発覚する。しかも盗撮という性犯罪だ。
別れるか、許して家族になるか。選択肢としては2択だが、恋人に抱く感情は数えきれないほどに増える。許せない、あり得ない、分からない、どうしたらいい、、、。
30歳という焦りの年齢に、つい昨日までは結婚したいと思えていた愛しい恋人。これを逃したら、という冷静に判断するには雑念すぎる恋人への消えない愛情。新夏の立場になればなるほどため息が止まらない。
直接的な犯罪でなくても、どことなく感じてきた違和感には、諦めと共存していかないと自分が疲れてしまうという認めたくない真実。
言葉にするのは憚られる、でもやるせない気持ちは決して忘れられない。搾取とまでは言い過ぎ?と思っていたが、これは万人が感じていたことなのだと認識できた。ありのままの言葉で触れてくれて、とても有り難かった。
人によって捉え方は違うだろうし、拒否反応を起こしたら読み進めるのすら苦痛に感じるかもしれない。
私も読んでいけるか不安だったが、途中からは新夏の決断を見送らないとという使命感に駆られていた。私も新夏と同じように、最後まで知りたかったのだ。
2章に分かれていて、後半は啓久目線で話が進む。このパートが無かったら、結局深く考えた方の負けなのか、とこの本を読む前と変わらない私だったと思う。
想像を超える個人の思想と、諦めの気持ち。これを昇華することはもうできない。でも私の中に生きた啓久が、少しだけ背負ってくれた気がする。
読んでよかった。