INFJと知り、肩の荷が降りて

いつからだろうか、人の考えが手に取るように分かったのは。

いつからだろうか、見ず知らずの人が多く集まる場所に出向くとき、何日も前から心拍数が上がっていたのは。

いつからだろうか、親しき仲にも礼儀ありが破られた途端に、感情が無になるのは。

頑固者と思われるだろうが、なぜか自分の考えには絶対的な自信があって。

自分の中ではもう決まっていて、一旦やらせてほしいと思うから、頭ごなしに否定をされたり強く指示されると脱力に加えて虚無が襲う。

でもそこに歯向かおうとする勇気は出なくて。それはあくまで穏便に済ませたいという、相手を想ってのことであって。決して納得しているわけではなくて。

なんだか思い悩んでいそうだなと感じ取ると、なんて声掛けたらいいか、解決策を考えてあげようか、こちらも勝手に悩みの中に飛び込んでしまう。

それは心を許しているからこその愛情表現であり、その人のためになるなら如何なる思いも受け止める覚悟がある。

逆にその思いを蔑ろにされることがあろうものなら、その人はもう私の世界には存在しなくて。

一目見ただけでその人の性格が手に取るように分かるから、仲良くしたいなって思う人とは今でもずっと仲良しで。

狭く深くの狭くは片手くらいでいいし、深くは3年くらいかかる。

人が多い場所にいると、どうしていいか分からなくなって、立ち位置に困る。

いつからだろうか、これがINFJ特有の感性だと受け入れ、肩の荷が降りたのは。

いつからだろうか、頭の中でとにかく何かしら考えを巡らせて、マイワールドの渦に飛び込んでも構わないと安心できたのは。

いつからだろうか、同じことを気にして気にして、1人になって解放されて、また明日からも頑張ろうと心に誓って、悩んで悩んで、1人になってリセットして、これはいつまで続くんだと自問自答を繰り返して、立ち止まっては振り返っている人が、この世にはたくさんいることが分かっただけで、鼻の奥がピリリとしたのは。